ムカデlog

ヒーリング・ネットワークに参加、山口県を中心に活動している記録です。

藝術と意識とクロスオーバーと

 明日、東京で高木美佳先生が音楽家・高木リィラとして参加されているユニット『りんぐリン』のライブが開催されますね。

 

leelatakaki.hatenablog.com

 

 残念ながら私は参加できないので友人たちの感想待ちです……。

 

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 さて、上記リンクの高木美佳先生の記事中に複数のものがクロスオーバーする新たな試みであると書かれていることについて、そして高木一行先生の撮影されたスライドショーを同時に上映してライブとクロスオーバーさせることについて、「何と斬新な!」と書かれていることがピンと来ない方もいるんじゃなかろうか、と今ごろになって感じたのでちょっとこのことについて書いてみます。

 

 「クロスオーバー(cross over)」とは

 異なる分野の物事を組み合わせて新しい物事を作り出すこと。「歌舞伎とミュージカルとをクロスオーバーさせた作品」
 ジャズ・ソウル・ロックなど、異なったジャンル音楽要素を交ぜて作り出した音楽。また、異なるジャンルの音楽の演奏家共演

『デジタル大辞林』 https://kotobank.jp/word/クロスオーバー-487151

 

とありますが、スライドショーにBGM的にライブ音楽が合わさるとか、ライブ音楽の背景にスライドショー映像が流れるとか、片方が主で片方が従であるような関係の体験ではなく、ヒーリング・アーツ的には、それぞれ別のものがそれぞれの際立った個性そのままに交差する時に全く新たな意識状態で体験できる在り方こそが「クロスオーバー」です。

 

 二つの全く異なるもの(例えば音楽と映像のように)が同時にあらわれ、それらを同時に等しく意識しようとし、その時点の自分の中心の意識では等配分に意識できないのなら、まず片方ずつじっくり感じ取った所から、1:9、2:8、3:7……と少しずつもう片方に割り当てる意識を増やしていき、それが両方同時に同じぐらいの意識配分になる5:5に達した時、その意識や感覚の状態を統合する全く新たな意識の中心が生まれます。

 また、この時には初めて3D映像体験をする時のような、際立って立体的な意識の感覚があります。

 

 ちなみに、クロスオーバーするものが二つ以上の複数に及ぶ場合、より深く立体的で、時によっては多次元空間的とも言える意識と中心の感覚となります。

 

 旧ヒーリング・ネットワークのサイトで公開されている音楽と組み合わされているスライドショー作品は、どれもこのクロスオーバー感覚を磨くことで深く味わうことができるものばかりです。

 

ボニン・ブルー 小笠原巡礼:2013 | ヒーリング・ネットワーク ::: Healing Network :::D

 

 さてその上で。

 今回のライブでは音楽と写真を枚数と再生時間を計算して組み合わせた前述のスライドショー作品群と違い、スライドショー映像に即興性のある演奏をぶつけた「ライブ」性のあるクロスオーバー・イベントだということを考えると、これは相当チャレンジングで斬新な企画ではないですかね?

 ワクワクしてきません?

 

 

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 ちなみに身体の右と左、前と後ろ、上と下、これらが相反する方向性の感覚を同時に等しく意識する所にあらわれる中心の意識が「正中心」と呼ばれる境地に通ずるものであるのですが、それについてはまた別の機会に。

動きの質

 NPO法人ヒーリング・ネットワークの公式ウェブサイトで公開された記事中に、高木一行先生の近況が触れられています。

 刑務所の中でもヒーリング・アーツを実践されていて、同房の人々も興味を持って実践している様子が伝えられました。

healing-network.or.jp

 

 そういえば以前にも、奥様の高木美佳先生の管理されていた<女神ネットワーク>というサイトのブログ記事で、刑務所の運動の時間に高木先生が龍宮拳や肥田式強健術を実践していたら、それを見かけた人に声をかけられたり、教えてほしいと頼まれたりしたという内容のものもありましたね。

女神ネットワーク

mikatakaki.hatenablog.com

 

  しかしまあ、実際に高木先生の修練の動きを目にしたら、少なくとも「それは一体なんなんですか!?」と訊ねたくもなるだろうなあ、と。

 あるレベル以上の、自分が行なっているものやその延長線上のものとは隔絶した動きというのは、その運動自体を知らなくても「何だこれ、違うぞ!?」という強烈な違いを与えるのだと思うのです。

 

 今から20年以上前の高校生時代の話ですが。

 私は高木先生の著作で肥田式強健術の存在を知り、その内容に強く惹かれて本の図や写真を見ながら自宅であれこれと実践することになったのですが、独学なので大して効果がなかったというのとは別に、動きのリズムもテンポも雰囲気も、ある姿勢からある姿勢へと移る過程の動きがどういう感じになるか、とにかく全く見当もつかなかったのは困りました。

 さすがにいつまでも本だけで独習するわけはいかぬと、大学に入って最初の夏休みに大阪開催された高木先生の肥田式強健術のセミナーに参加したのが、教えを受けた一番最初の機会であったと思います。

 

 さて、参加した当時のことを思い出しつつ、実際に学べた感想はというと、

 全くわからない。

 そういうありさまでした。

 

 ちょっと考えてみていただきたいのですが、――山陰の田舎で運動が苦手で武道といえば小学校低学年時に地域の剣道道場を2年余通ったっきり、高学年からはサッカー(全校生徒数が少ないので強制)、中学時代の部活は卓球(同じく生徒数が少なく陸上か卓球の強制二択)、もともと得意でもない上にそこで運動の下手なやつと上手いやつの関係性が全く変わらず終止苦手で面白さも全く分からず、高校に入ってからやっと強制でなくなったのでもう絶対に運動系の部活はすまいと文化部に入った人間が、マンガや小説から興味を持って文字や写真だけで武道や武術を調べだし、そして大学生になってからようやくちゃんと学ぼうと2日間のセミナーやってきた――そんな人間に何が分かるというのか、と。

 

 あまりのすごさに感動したとか。

 なにか先生に言われたひとことにビビッときたとか。

 

 そういうことは全くなかったです。

 分かるだけの素養も知識も感受性も経験も全く、本当に全くなかったのですから。

 

 ただ、なんだか不思議だしすごい、何か違う――――というような気がする、ということだけは感じました。

 

 いや、自覚の全くない部分で何かは強烈に受け取ったのだと思います。

 というのも、高木先生は東京、大阪、広島などで強健術や武術や気功のセミナーを開催されていて、九州の大学生だった私には交通宿泊費とセミナー参加費は決して気軽に出せる額ではありませんでしたが、いつの間にか3ヶ月~4ヶ月バイトしてお金が貯まっては参加するようになったのですから。

 

 今になって思い出すのは、全く何も分からないなりに何故か「これには自分を変える何かがある」と感じていたこと、そして惹き込まれていたことですね。

 ド素人でも受け取る大きな何かがあったのだと思います。

 

 

 何年も練修に取り組んでいくと、ようやくだんだんと高木先生の強健術のどこがすごいと具体的に分かるようになったのですが、一方では、自分自身が強健術を行なうことでそのすごさを実感できるようになる日が来るというのは想像もつかなかったものです。

 まさかその自分が、強健術のイベント企画を開催したりする日が来るとは‥‥と、ここ数年の自分の活動を振り返ると、我ながら衝撃的ではあります。

 

 

※高木先生が肥田式に関して唯一公開している腹胸式呼吸法の動画

youtu.be

 

あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。

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 という明るい新年のご挨拶の後に書くのもなんですが、昨年末に仕事納めになった翌日から、一年分の疲労が全部やってきたのかというぐらいどっと疲れが出て、異様なほどグッタリしてしまいました。

 40歳を過ぎてから疲れやすくなったのは自覚していましたが、ここまで気力が湧いてこない状態が続くのはさすがにまずい。

 あれこれヒーリング・アーツを実践していたのですが、やればやるほど自身の心身の劣化/老化が自覚でき、『わしまだ40ちょいなんだけどこのまま10年20年経ったらどうなるんじゃろ……』と結構暗澹たる気持ちになり、テンションがどんどん下降していくわけですよ。

 

 身体の内なる反応に耳をすませばすますほど、腱がパキパキこわばり、骨がギシギシときしみ、筋肉の締めと緩みの幅が狭まっているという今の在りようが強く感じられるようになってくる……。

 

 で、まあ、それからどうなったかというと、

 

 12月の31日の夕方になって何とはなしにyoutubeで高木美佳先生が公開されているヒーリング楽曲作品の動画を観て聴いたら急に体の中に新鮮な水が流れ込んでくるようにみずみずしい感覚が蘇ってきて、『おお? なんじゃ? えらいこっちゃ!』とテンションが軽くなってきて、そこからyoutube以外に自分も手に入れている他のヒーリング楽曲作品を数時間ぶっ続けに再生し、それに合わせてヒーリング・アーツを行ずればどんどん明るくなってきて、新年を迎える頃には「いやあ年も明けて気持ちがいいなあ」などと数時間前の陰鬱さがウソのような状態になってました。

 


ケラマ・グレイス 序章 海中奉納舞〜Sacred Dance in The Sea〜 高木一行&高木リィラ

 

 いやあしかし、我が事ながらなんなんでしょうね。

 

 音楽、あるいは音そのものが心身に与える影響を研究している人は世の中にそれなりの人数いらっしゃるようですし、例えばyoutubeで「ヒーリングミュージック」で検索すると無数の楽曲動画が表示されます。

 しかし、私はそういうのを聴いても、少なくとも不快な音と音楽ではないとは感じても、それ以上は特に面白くもおかしくもないのです。

 これぐらいならまだ未加工の海の波音の音源でも聴いたほうがよっぽどゆったりした気分になれるんじゃ、と思うことすらあります。

 

 そんな私ですが、高木美佳先生の発表されてきた楽曲、演奏される音は私には劇的に効きます。

 音が空間に物質として存在しているのでは、と思えるほど具体的に、自分の身体の前後であるとか左右であるとか、内と外であるとか、身体の部分または全体であるとか、そこに響いて力を及ぼすのを感じるのです。

 

 ヒーリング・ネットワークの学びの中のあらゆる修練の中で会場で流れていたから刷り込まれているのか? とか、

 高木美佳先生の作品によってヒーリング・アーツ的に音を聴く修練を続けてきたので、先生の作品が一番効果を感じる体になってしまったという限定された人間だからか? とか

 

自分でもこの感じ方は普遍性があるのだろうか? と色々と考えたりしたこともありますが、先生以外で何人かの方の演奏を聴いて、一音鳴っただけで「これは明らかに違う!」という感覚を感じることがちょいちょい生じるようになってきたので、明らかに一部の人が楽器や声から発する音には深く人間に影響を及ぼす物理的な力があり、そしてその力を意識的に扱っているのであろう、と確信するようになってきました。

 

 いやあ、音と意識の関係というのは面白いものです。

 

 ちなみに私は楽器演奏はほぼ出来ない人間(そのこともあって自分の音に関する感覚に「これって自分だけが特殊なのか」と惑ったりもしたのですが)なのですが、現在は「氣合」という点から自分が音と意識と身体の関係を追求してみたいという興味が湧いてきています。

 そういえば伝統的な「氣合術」と呼ばれる体系では、滝に向って氣合を発して修練し、成功すると滝の音が一瞬消えるという状態になるそうです。

 さすがに現代社会では特別な修行場でもない限り、野外の滝でえんえんと氣合をかけているのが人に見られると、通報されたり退去させられたりする可能性がありますから、その内どこかの公共施設の防音の音楽室を借りて氣合の練習会でもやろうかと思っております。

 そうそう、肥田式強健術でも有声の氣合があってあれも……

 

 

と、書き始めるとキリがないのでこの話はこの辺で。

 

 新年早々話がとっちらかってしまいましたが、本年もよろしくお願いいたします。

日曜日は広島で主催イベント。

 

healing-network.com

 

 12月3日に広島でイベントです。

 

 ここしばらく、手の余計な力やこわばりをほどいていくために数分間激しく手をシェイクし続ける(最終的には全身を激しく震わせていく)「手ほどき」と呼ばれる開発法を続けてきているのですが、 余禄として拳の握り方、ヒーリングへの活用、拳による打撃への応用と、いくつか発見がありました。

 手首から手根部にかけてきちんと意識できることによって生じるものですが、肥田式強健術で言うところの集約拳の握りについての示唆もあり、拳を握ることと丹田部への力と意識の集約にリンクが起きていてなかなか面白いものです。

 

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blogはじめました。

 NPO法人ヒーリング・ネットワーク|Healing Networkに参加して山口県を中心に活動しています。

 

 かなり以前、ヒーリング・アーツ/熱鍼法研究というblogをやっていましたが、色々ありすぎて更新が止まってしまい、今回再開するにあたって心機一転、場所を変えて始めようかと思いまして。

 

 こちらをお借りしております。

 

 自身がやっていることや考えていること、思いついたこと、撮った写真なんかを徒然に書いて掲載していこうかと思っております。

 

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